宇宙存在との関わり方
UP : 2004.04.01
若者向けのコミック誌『ヤングアニマル』No.9に、私が大槻ケンヂさんと対談をした記事が出ています。

あちこちの固有名詞が●●●●とツブシ文字になっていますが、その内容の大半は、「あるバンド」にいた「宇宙人と思われる人物」についてでした。

一般に「宇宙人が街に住んでいる」などと言ったりすると、即笑いものにされるような気風がありますが、UFOの目撃事件がこれだけ世界中で報告されていることを考えれば、その搭乗者が街中に下りて来ないと考える方が不自然ではないでしょうか。

『ニラサワさん。』の中で紹介した宇宙人Jは映画俳優でした。彼と付き合っていた古山氏が言っているように、そのような人たちは「もしかしてこの人は宇宙人ではないのか?」と疑われそうになると、タバコを吸ってみせたりして、わざと「下品なしぐさ」でカモフラージュするそうです。これは言うまでもなく、彼らにとって疑われ詮索されることが致命的な問題になるからです。

というわけで、冒頭で述べた方が、もし「本当に宇宙からやってきた人物」だとしても、本人はそれを肯定するわけにはいきませんし、逆に何も関係無かったとしたら、それはまた迷惑な話になってしまいますので、自ずとツブシ文字になってしまうという状況をご理解下さい。

しかしながらこのような追求は、現実の宇宙人の実態を知る上で、非常に参考になると思われます。
世間の一般的な風潮として、宇宙人の外見は、奇妙キテレツで人間離れした姿をイメージするように「思わされている」のですが、意外に人類の仲間であることを知れば、高度に進歩した存在からの「救済」を求めるような「他力本願」になることもなく、また危害を及ぼす存在を恐れる「被害妄想」になる必要もないことが理解出来るでしょう。

さて、前述の雑誌で紹介したミュージシャンですが、仮に名前を「Mさん」としましょう。そのMさんが宇宙人のようだという報告を受けたのは、実際はかなり前のことだったのですが、今回はその手記の一部を紹介してみたいと思います。

ちなみに、Mさんが歌っていた「究極の愛」の一節には、

This is STAR-SHIP / I feel beyond, I,m not afraid, beyond everything / Step into the MOTHER-SHIP / Unidentified Flowers Of Mistery ・・・・・ 

というのがあります。

歌詞はすべて英語で唄われていますが、一つだけ日本語のメッセージが入っています。それは戦場の銃撃の音を背景に次のように述べられています。

「僕は夢を見た。それは、天使がとまるリンゴの木がある島に行った夢だった。僕はその木を見上げて思った。ほんとうの伝道師はどこへ行ったのだろうと。長い時間、天使たちの帰りを待った。リンゴが腐って落ちた。ふと気がつくと、木には悪魔たちがとまっていた。」

それでは、手記を抜粋してみます。


・・・・・ この時は、すでに彼とは知り合っていたんですが、UFOの話などは一度も聞かされたことがありませんでした。ただ、たまたま夜に縁側に出た時、見えている星を指差しながら「この見える星に、どれくらいの人が住んでいると思う?」と、聞くものですから「それは数え切れないほどの星が宇宙にあるんだから、俺達と同じような生命を持つ星は何個もあるだろう」と言ったら、彼が「そこにも、そこにも、そこにも・・・・」と、そこらじゅうの星を指して、「生命はどこにもあるんだぜ」と、ひどく断定的に言っていたことが印象的でした。

それは「誰かがそう言っていた」とか「どこかの本に出ていた」と言うような受け売り的な言い方ではなく、はっきり断定していました。むしろ言い聞かせるように、「いるんだよ!」という言い方です。まるで自分で見てきたような感じでした。そうでなければ、なんでそう断定するのかが不思議です。

僕らはスランパーという言葉を使っていましたが、これが意味するところは、ただ単なるバカではなく、ある節度をもった愚かさというような、ちょっと言い表せない、使い方をしていましたね。
当時彼と付き合っていた時はその状態の中にいたわけですけれど、現在は薄らいでしまいました。彼は「スランパーじゃなければパワーは出ない」と言ってましたね。よく気持ちが落ち込んだ状態を表す時に使う「スランプ」とは全く意味が違います。

その言葉の意味は、Mと会っている時、実感として伝わってくるんです。「ああこれがそうなのか」と理解するわけです。肌で感じる言葉なんです。この状態を感じられる者同士の会話や電話は、他人が聞いたら、おかしなものでして、ちょっとした掛け声のようなやりとりで、当人同士は意見が通じあえるんですね。そこには言葉以上のものが通いあっていたと思うんです。

このスランパーは、その人の環境と、生き方の中で、生み出されもするし、消えもすると言えると思うんです。つまり彼の言い方をすれば「しがらみの中に生きてしまう」わけで、今の僕自身の中ではかつてのパワーは失われて来ています。常識から見るとバカバカしい人間だと思われるんですけど、中身は全然違うんです。

しがらみのきずなを絶って生きるということで、パワーを見つけるということは、相当な強さが必要だといえるんです。友達や親子といったつながりが失せたとき。次に出てくる何か本原的な力というものがあるわけです。一般的なものの見方、常識的な考え方の中では、あくまでもそうしたものの中にとどまっているわけで、鮮烈な発想は生まれてこないんです。

・・・・・ 宇宙的な面でも本質的に我々と違ったところがあると思うようになった頃「どうもあいつはおかしいところがある」と、彼が台所に立ってフライパンでウインナーソーセージを料理していた時、別室でコソコソ話をしていました。

マンションでしたから、キッチンと居間は分かれていて、テレビも大きな音を出していましたから、距離的にいっても、料理している人には聞こえないはずなんです。

「あいつ確かにおかしいところがある。もしかしたら宇宙人じゃないの?」と耳打ちしたんです。まだMとは知り合って半年ぐらいのときでしたから、本人に聞こえるように形ではいえないことでした。Mは料理しながら鼻歌をうたっている様子でしたが、こちらでコタツの隅でそんな話をしていて「宇宙人じゃないのか?」と言った瞬間、彼が部屋のドアを開けて電灯をパチンと消したんです。
そしてこっちを見て、

「僕は実は宇宙人なんだ」

と言って、ニッと笑って、それからまた電灯を明かるくしてガラッと戸を閉め、歌をうたって料理を続けたんです。

みなあっけにとられてポカーンとしていましたよ。そのままエーッという感じでした。「僕らの話が聞こえて、冗談いったんだろう」と、その時は思ったんですが、後で冷静に考えると、聞こえるわけがないと思ったわけです。これはわれわれにとって一つの決定的なことだったんです。状況といい、その時の顔といい、言葉といい、ショックでした。

彼が宇宙問題に触れることが度々あったわけではなく、もちろんUFOとか宇宙人について話したことはほとんどなく、それきりだったんですが、知ってるなという気はしました。このことを韮沢さんの知人に話して以来、彼は自分を宇宙人ではないかと思う人間からは逃げていたように思います。

それ以後、彼がひょっとしたら、本当に宇宙人なんじゃないかと思うようになってしまい、気にしないようにしようと思っても、何かの拍子にそのことが頭のどこかに浮かんで来てしまうんです。

しかし彼と会っていると、そんな事はどうでもいいことだ、彼が宇宙人だろうが地球人だろうが、関係ないことなんだという気がしてくるんです。そんなことは、何ら重要なことでは無いんだ、という感じになってしまうから不思議です。

大切なのはとにかく「人間と人間が会っている」ということ、そこにしがらみを超えたコミュニケーションが生まれること、それだけなんです。話しているうちに「彼が宇宙人じゃないか?」なんてことは意味を失うんです。そんなことを考えている自分がバカらしくなって、そういうことを考えるのがいやになってしまうんです。そんなことどうでもいい、ただ、お互いがそこにいて話していることが大事だということです。

彼がいなくなる前に、一言いったことがありました。
それは「お金の時代は長すぎたな・・・・・」という言葉でした。
千年も貨幣の時代が続いたということは長過ぎたというわけです。その言葉を最後に、それっきり連絡がないんです。その言葉は他の人も聞いていて、次の世代は別の価値観が出てくるというものでした。

ともかく彼は、うじ虫のように湧き出してきて、五年ほどわれわれの間にいて、突如消えたんです。最初、友人の家に突然いたんです。どこかから、転がり込んできたということで、それ以前は、どこか外国バンドのボーカリストだったようでした。最初は部屋の隅で黙っていたんですが、話し出すと、例のジョークが飛び出して、とたんに親しくなっていったわけです。

それ以後、彼が加わったバンドが有名になり、レコードが出て、テレビのCMにまでなったわけで、才能としても相当なものがありました。業界では天才的な評価を得ていましたね。

彼が旅立つ前に、日本語の離せない外人がひとりいつも一緒にいました。言葉は通じないんですが、話の内容はわかる様子で、この人も不思議な人物でした。



先週、渋谷のロケに同行した、四月から始まるテレビ東京の新番組「裏ジャニ」は、「宇宙人からかかってきた電話の録音テープ」とか「街に張られている謎のステッカーを解読したら宇宙人のメッセージだった!? 」といった内容でした。今回の相手は誰あろう、あのカゼッタ岡氏です。

にわかには信じがたいテーマですが、私としては即座に闇に葬る気にはなれず、お付き合いしました。生後三ヶ月でアブダクションを体験し、75歳になる今も毎晩宇宙人と交信しています。混線もあるとは思いますが、ETヒーリングの気も感じます。肺炎になって救急車で運ばれているとき、脈がないのに意識がある、というのは尋常ではありません。
六畳一間の古いアパートに、ジャニーズの若い面々は、足を踏み入れるのをためらっていました。

CSETIから、プライベート・セミナーの誘いがありました。定員15名だそうです。他言無用の宣誓書を書いての出席になります。夜には、グリア博士が以前成功している、UFOの呼び出し会も行われるようです。ちょっと日程がつかないので今回も欠席ですが、この問題を背負うのは、なかなか骨の折れる仕事になります。

長野県からは、宇宙人のストーカーに生活を邪魔されて困っている人から、相談を受けました。あのMIBの襲来のように思われるようなものでした。UFO事件を伴うこれらの現象は、過去に多くの遭遇体験者に起こり、人格を破壊し、謎の闇の中に葬り去るような動きがみられましたが、邪悪さを回避する世界観がないと、救出ができなくなります。目に見えない力は、天空から地上に至るまで満ちていますから、見極めるセンスが求められます。

最近この方から、私のアドバイスによって、困難な状況が消滅したという礼状をもらいました。宇宙人に遭遇し、ケイリー・マリスのようにノーベル化学賞を受賞する人から、日常生活と折り合いがつけられずに破綻する人まで、いろいろですが、この分野は、人類の新しいステップであることに違いはありません。

次回は、地上における彼らの建設的な活動について、触れてみたいと思います。
韮 澤 潤 一 郎
にらさわじゅんいちろう

韮澤潤一郎の監修本
1945年新潟県生まれ。
法政大学文学部を卒業。

科学哲学において、
量子力学と意識の問題を研究する。

たま出版社長 他各社役員・
UFO教育グループ主幹。
 小学生時代にUFOを目撃して以来、40年にわたる内外フィールドワークを伴った研究をもとに雑誌やテレビで活躍中。1995年にはUFO党より参議院選挙に出馬。最近は、『たけしのTVタックル』などの番組に出演、超常現象肯定派の側に立って論陣を張る。UFO絶対肯定派。これまでに『ソ連東欧の超科学』『ノストラダムス大予言原典』『第三の選択』、「エドガー・ケイシー・シリーズ」「UFOシリーズ」などのベストセラーを手がけてきた。

 UFOと超常現象における研究の主要なテーマは、UFO目撃事件に始まり、宇宙開発や軍事上の情報操作の実態、宇宙考古学的な視点から見た人類の歴史、ミステリーサークル出現にいたる近代の文明に及ぼす宇宙人の動向、多様なコンタクト事件から判明する宇宙人の文明と、われわれ地球人の進化と能力の展望。