ゴジラと人類の記憶
UP : 2004.07.20
もうニュースのページにも出ましたが、映画「ゴジラ・ファイナルウオーズ」の中での、私の出演する場面の撮影が、最近終了しました。

この映画のシナリオ展開には、これまでほとんど取り入れられたことのない「宇宙人とミュータント」という二つの要素が登場してきます。また、これが最後のゴジラ映画になるということで、過去に出ていた怪獣が勢揃いするという、豪華な内容となっています。

怪獣と宇宙人がどういう形で絡むのかは、今の段階では口外できませんが、台本は撮影段階まで、何度か書き直されて送られてきていました。映像面では、全編にわたって高度なCGが多用され、息もつかせぬインパクトのある展開に仕上がっています。

なぜこの映画が続いてきたのか?その魅力については、さまざまな意見があるようですが、今回出演して感じたことは「ゴジラという架空の生き物の姿は、人類の記憶そのものを象徴しているのではないか?」ということです。

巨大な力を持つ救世主的存在、得体の知れない怪物による大量破壊。それらは太古の人類が体験した事だったのではないでしょうか。
映画では怪獣と宇宙人の関係が描かれていますが「宇宙人とは善玉なのか?悪玉なのか?」ということも大きなポイントになっているようです。また、主演の二人が演ずるミュータントは、宇宙人が関与した遺伝子操作の結果現れた新人種であるなど、古代の神々の痕跡を象徴しているようにも思われました。

一般的には、宇宙系SF作品の多くが「宇宙からの地球侵略」をテーマにしています。また同様に、古代神話に登場する神々にも「善良な救い主」とは言いがたい要素が頻繁に見受けられます。神話や伝説の神々はいつしか宗教を形作り、「わが唯一なる神こそ、絶対なり」という宣言は、その後の民族結束のアイデンティティーとなりますが、一方で作られた「敵」の存在は、紛争の火種として残ることになります。
戦国時代・封建時代・植民地時代・冷戦時代‥‥そして今日もまた、対立の火種はくすぶりつづけています。

これらの経緯から「唯一なる神は存在するが、古代の神々とは、神そのものではなかった」ということを、改めて認識する必要があるのではないでしょうか。
宇宙原理的に位置付けられる「唯一なる創造者」が、現実的に「人の子」を遣わすと
いうことはありえません。
つまり古代の伝説などに現れる「神々」とは、地球外のある知的生命体が、未開な民族の最中に宇宙船でたまたま降り立っただけで、あたかも白骨温泉に入れられていた白い入浴剤のごとく有り難がられた結果、「天からの神々」にされてしまったいうことではないでしょうか。

この問題は現代においても、宗教・哲学思想に大きな影を落としているといえます。

イスラムの起源は、その多くが旧約聖書から立脚していますが、エーリッヒ・フォン・デニケンは、新著『神々の大いなる秘密』(三交社)の中で、モーゼがシナイ山で「十戒」を受け取って帰って来た際、旧約に登場する「神々」が、不信感を抱いた約三千人の人々を殺害したなど「身の毛をそばだたせるような」ことがあったと述べています。

そして、モーゼがイスラエル人たちを連れてエジプトから脱出させるため、「神」はエジプト人の長子をことごとく殺したことが「出エジプト記:第12章」に出てきます。脱出成功後は、荒野を進む群集を守るため「昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった」とあり、映画「十戒」でも描かれていたように、追ってきたエジプト軍を海の中に飲み込ませたのも「火の雲の柱」でした。
しかし、やがて水が不足してきたことに文句が出たり、「日の老いたる者」が作り出すマナパンに飽きてきた群集には、「十戒」をはじめさまざまな厳しい立法を与え、秩序を維持することに努めています。その様子はつぎの一文に象徴されています。

「見よ、人の子のような者が、
天の雲に乗ってきて、
日の老いたる者のもとに来ると、
その前に導かれた。
彼に主権と栄光と国とを賜い、
諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。
その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、
その国は滅びることがない。」
(ダニエル書)


天から宇宙船で降り立った神々は、天幕の中に設置されていた「生化学的マシーン」などによって大衆を従え、あらゆる人々を服従させながら、その権威を宣言したわけです。
しかしある時は「奴隷」を要求し、ある時は肉や宝石さえ欲しがったという、この「神々」との契約は、後々の先鋭的な宗教対立を引き起こしていきます。
やはり、このような「神々」からの安易な干渉は、本当の意味での「地球の安定」にはほど遠いものだったのではないでしょうか。

旧約の記述で「神」はモーゼとアブラハム両名と「永遠の契約」を交わし、神の再臨と新しい王国の開始を予言したわけですが、こうした約束と、それを実行するために神々が巨大な兵器で人類を罰したストーリーは、「ギルガメッシュ叙事詩」「ラーマーヤナ」「旧約聖書」「黙示禄」など、枚挙にいとまがありません。
さらに「死後どうなるのか?」という問いへの答えについても、「自爆すれば救われる」という教えも、そうした恐ろしい神々の伝説が、少なからず影響しているように感じられます。

その後の2000年ほどの間の出来事を見ると、おそらく宇宙人たちは、前述の「気まぐれ」ともいえる干渉の危険性を反省し、スペース・プラグラムの中での地球介入のやり方を、大きく変えてきたように思われます。

文明の発展は試行錯誤の連続ですが、「作用・反作用」だけでは道が見えてきません。
今や、地球人は「天からの神々」を待つのではなく、「神を自らの内に見出す」必要があるのではないでしょうか。
韮 澤 潤 一 郎
にらさわじゅんいちろう

韮澤潤一郎の監修本
1945年新潟県生まれ。
法政大学文学部を卒業。

科学哲学において、
量子力学と意識の問題を研究する。

たま出版社長 他各社役員・
UFO教育グループ主幹。
 小学生時代にUFOを目撃して以来、40年にわたる内外フィールドワークを伴った研究をもとに雑誌やTVで活躍中。1995年にはUFO党より参議院選挙に出馬。最近は、『たけしのTVタックル』などの番組に出演、超常現象肯定派の側に立って論陣を張る。UFO絶対肯定派。これまでに『ソ連東欧の超科学』『ノストラダムス大予言原典』『第三の選択』、「エドガー・ケイシー・シリーズ」「UFOシリーズ」などのベストセラーを手がけてきた。

 UFOと超常現象における研究の主要なテーマは、UFO目撃事件に始まり、宇宙開発や軍事上の情報操作の実態、宇宙考古学的な視点から見た人類の歴史、ミステリーサークル出現にいたる近代の文明に及ぼす宇宙人の動向、多様なコンタクト事件から判明する宇宙人の文明と、我々地球人の進化と能力の展望。