マクロビオティックとアダムスキー
UP : 2005.07.01
私が入社したのは、ちょうど弊社の創立された1969年だったのですが、そこから10年間くらい(1970年代)は、あちこちの団体や自然食店などに直接本を持って行き、販売させて頂くなどの営業を行っていました。
その当時は、エドガー・ケイシーの「秘密シリーズ」や心霊医学的な書物でしたが、すでにUFO関係の本も何冊かありました。

その頃に出入りしていたお店の一つに、渋谷駅近くにある自然食店がありました。その後レストランも併設されましたが、確か、現在のCI正食運動の本部だったと記憶しています。

そこへ伺った折によく聞かされたのは、創設者の桜沢如一(ゆきかず)氏のことなどについてでしたが、そこでは、アダムスキーの「宇宙哲学」や「生命の科学」の初期の自家版なども販売して頂いていたので、私がUFOを研究していることを知っていたお店の方から、ある時「おまえ、この著者のジョージ・アダムスキーという人を知っているか?」と聞かれました。

「ええ、知っていますよ」 と答えると、その人は__

「われわれの自然食運動を創設した桜沢先生は、別名『ジョージ大沢』というんだが、その名前はジョージ・アダムスキーから取られたものなんだよ」 と言うのです。

私がビックリして、「なんでアダムスキーの名前をつけたんでしょう?!」 と聞くと、

「それは、先生が海外で活躍されていた時にアメリカで知り合って、思想的に非常に共鳴したからだよ。この宇宙的思想の源流は、その後、日本では自然食運動と、大地電流の理論の二つの流れを生んだわけだ」
と、説明して頂きました。

ここで言われた「二つの流れ」とは、マクロビオティックの正食運動と相似象学のことです。

当時は、「マクロビオティック」とか「CI」という言葉はあまり聞いたことがありませんでしたが、「正食」という言葉はありました。欧米では相当盛んでしたが、まだ日本にはそれほど知られていなかったように思います。
大地電流の相似象学も現在は独立していて、一部の人たちが実践しているだけのようです。特に重力理論については、地下に潜ってしまい、秘密裏に国家的研究が為されているなどと言われているだけです。

ところで大沢氏は、どのような経緯でアダムスキーと接触するようになったのでしょうか。

ジョージ大沢氏は1893年の生まれで、若いころはずいぶん体か弱く、苦労を重ね、それを克服するために研究して、1937年に食養会を設立しています。
そして、自説の「無双原理」をもって、1953年からインド、アフリカ、ヨーロッパを回り、「身土不二」「一物全体」といった理論の啓蒙を続け、多くの人々に影響を与えました。

一方、アダムスキーは1891年の生まれです。そして、1926年ころから「宇宙の法則」についての啓蒙運動を始めました。金星の宇宙船から降りた異星人と遭遇したのが1952年です。その体験を書いた『空飛ぶ円盤実験記』が翌年に出版されています。

おそらく大沢氏は、海外のどこかで『空飛ぶ円盤実験記』を読み、アダムスキーを尋ねたのでしょう。前に見たアダムスキーの記録の中にも、「日本人が訪ねて来た」という記述があったと記憶していますが、それが大沢氏かもしれません。
その訪問は、四国在住の故ポール大観氏(本名は向井・現在話題の日本政府UFO文書問題に深い係わりがある。詳細は後日コラムで)がカリフォルニアのアダムスキーを訪ねるより前の話になります。

ジョージ・大沢とジョージ・アダムスキーがどのように共鳴したのかについては、私が説明するよりも、弊社より出版されている『地球と人類を救うマクロビオティック』から、その思想の一部を引用するのが分かりやすいと思います。

ちなみに著者の久司道夫(くしみちお)氏は、大沢氏の思想を引き継ぎ、ヨーロッパ、南米、アジアなどでの、世界平和と正食運動の普及・啓蒙活動の実績が認められ、国連や、スミソニアン博物館、米国議会から、賞や認証を受けています。

「・・・・人間というものは働いて働いていっしょうけんめい努力しています。それは本質的に間違っているのです。ともかく、楽しむということ、遊ぶということ。桜沢如一は、「遊ばざるもの食うべからず」を信条としていましたが、この地球の上で、お互い兄弟姉妹、敵も見方もなく、みんなが一緒に楽しく遊んでいく、好きなことをやっていくということなのです。それがマクロビオティックの目指す究極の世界なのです。・・・・・地球の文明が大きく変換し、月や火星が身近なものになり、今度は太陽系文明というものが開かれていきます。・・・・・」
(第四章:戦争のない平和な世界への五つのステップ より)

このような発想は、現在の混迷した地球社会ではなかなか受け入れられ難いものがありますが、進化した文明の世界とはそんなものなのかもしれません。

第五章では、「現代に甦る陰陽の哲学」となっており、初めに「桜沢が唱えた[宇宙の秩序]七原則と[無限宇宙]十二の変化の法則」が記されています。

「マクロビオティックの究極の目的である心の平和、本来の人間としてのあり方と生き方を実現するために、あるいはその前提となる病気と食物との関係について理解するためには、全宇宙の根本原理であるところの陰陽の原理を知る必要があります。というのも、マクロビオティックの最大の特徴は、宇宙のすべての森羅万象をマクロの目、つまり大きな視野から見ることにあるからです」

根本としてある陰陽の原理とは、いわゆる男性原理と女性原理ということで、その正反対の特質を持っているものが一体になることで、相手の性質を獲得する、旧約聖書の創世記における天地創造や、日本神話の国生み物語に通じるわけです。

「桜沢はその曖昧な陰陽の理論を易経や、老子の道徳経などをもとに整理し、相対立する力が互いを補い合い、統合に至るとする無双原理として世に広めていったのです。
宇宙のすべてのものは、絶え間なく変化しています。昼から夜へ、活動から休息へ、若者から老人へ、生から死へ、そして死から再生へと、日々休むことのない動きの中にいます。
この大自然を支配する、変化の法則を理解することは、体や心に調和をもたらすための大きな力となります・・・・」


陰陽五行は、古くは易経の思想として中国に生まれ、老子や孔子はこれによって変化の法則を学んだといわれます。
そして、次の小見出しに、「次元・方向、色、温度、重量、原子構造、元素、仕事、生物、私たちの臓器、すべて陰陽にニ別できる」とあります。さらに食物や自然環境についても分析して行き、酸性とアルカリの食物、体を温めるものと冷やす食物などといった、正食の体系を築いていくわけです。

そして大沢氏がアダムスキーに会った時、以上のような思想を語ったに違いありません。
陰陽五行の思想がどこから来たのかについては、弊社刊の『教科書には絶対書かれない古代史の真相』や『封印された古代日本のユダヤ』『日本史のタブーに挑戦した男』などでわかるように、ユダヤ北朝族が銅鐸文化を持って日本列島に到着したもので、伊勢一宮「椿大神社」で発見された「秀真伝(ほつまつたえ)」にその真髄を見ることができます。詳細は弊社刊『言霊ホツマ』を参照していただければ幸いです。
中国の儒教とは「ジュウの教え」、つまりシュメールの流れをくむオリエントからの伝来で、やがてその思想は日本で花開いたということになります。

陰陽の法則は、物事のバランスを意味します。
一説によれば、「土星はバランス、つまり太陽系の法廷である」との指摘があります。

1985年の10月に、弊社絶版本の『宇宙からの使者』の著者である藤原忍氏は、かつてニュージーランドでのアダムスキーのコーワーカーであったヘンク・ヒンフェラー氏から、「アダムスキーが、1959年に講演旅行を行っていた際、『日本人種は、土星人の影響を受けている』と発言したことを、確かに聞いた」という手紙を受け取っています。それは異星人からもたらされた直接的な情報かもしれませんが、思想の共鳴をした大沢氏との話から引き出された可能性も、十分あり得ると思います。
韮 澤 潤 一 郎
にらさわじゅんいちろう

韮澤潤一郎の監修本
1945年新潟県生まれ。
法政大学文学部を卒業。

科学哲学において、
量子力学と意識の問題を研究する。

たま出版社長 他各社役員・
UFO教育グループ主幹。
 小学生時代にUFOを目撃して以来、40年にわたる内外フィールドワークを伴った研究をもとに雑誌やTVで活躍中。1995年にはUFO党より参議院選挙に出馬。最近は、『たけしのTVタックル』などの番組に出演、超常現象肯定派の側に立って論陣を張る。UFO絶対肯定派。これまでに『ソ連東欧の超科学』『ノストラダムス大予言原典』『第三の選択』、「エドガー・ケイシー・シリーズ」「UFOシリーズ」などのベストセラーを手がけてきた。

 UFOと超常現象における研究の主要なテーマは、UFO目撃事件に始まり、宇宙開発や軍事上の情報操作の実態、宇宙考古学的な視点から見た人類の歴史、ミステリーサークル出現にいたる近代の文明に及ぼす宇宙人の動向、多様なコンタクト事件から判明する宇宙人の文明と、我々地球人の進化と能力の展望。