メキシコのもう一つのコンタクト事件
UP : 2005.09.23
このところ、中米・メキシコにUFOが大挙して押し寄せているようですが、今回もこの地域に焦点を当て、地球外生命体についての実態についてふれてみたいと思います。

前回は、メキシコのコンタクティー医師の来日の話でしたが、今回は、私の方がメキシコに行って、また別のコンタクティーに会ったという話です。
当時1985年は、私がメキシコに行っていた間に日航機の御巣鷹山墜落事件が起き、帰国一ヵ月後くらいにメキシコで大地震があり、その時宿泊したセントロ地区のホテルあたりも、壊滅状態になったという、何ともいわく付きの年でした。

ご存じない方のために、そのコンタクティーについて簡単に説明しますと__

1953年8月、交代制のタクシー運転手をしていたサルバドール・ビジャヌエバ・メディナ氏は、メキシコのサン・ルイス・ポトシという町の郊外で、故障した車(タクシー)の修理中に2人の宇宙人と遭遇、その日にUFO内部へと案内され、大気圏外で母船に乗りかえて他の惑星に行き、その社会生活やテクノロジーなどを見学するという体験をしました。

その後、ビジャヌエバ氏は、その内容を詳細な手記として発表しましたが、UFO内部・機器のディテールをはじめ、宇宙人の都市や交通・社会構造や部品製造の過程など、大変細かく記述されています。
その書は、日本国内では『惑星からの帰還』として、私の監修で当社から刊行されました。その数年後には新書版で『わたしは金星に行った!!』と改題されて出されましたが、残念ながら現在は、いずれも品切れとなっています。

その本の準備をしていた当時、私は著者のビジャヌエバ氏に直接会ってみたいと思いました。それまで一緒にメキシコに入国した2人の友人は、都合で一足速くアメリカへ引き上げてしまいましたが、私はどうしても会う必要を感じていたので、訳者の方に仲介して頂いて、住所と電話番号を頼りに、一人メキシコシティーに飛びました。

メキシコへの入国手続きは、最近UFO艦隊の大群が出現し続けている、グアダラハラの飛行場でした。
これは余談ですが、実はこの時ちょっとした事件がありました。入国税関とアメリカ人の旅行者がいさかいを起こし、私が仲介をして事態が収まりました。
メキシコではほとんど英語が通じないのですが、ここでメキシコ人とアメリカ人はあまり仲が良くない事を実感しました。しかし、メキシコ人は日本人には好感があったようでした。それは日本人が「第2次大戦でアメリカと戦った国民」であると知られていて、それに共感を持っているらしいのです。
そこでのいさかいの発端は、せっかちなアメリカ人の旅行者達が、のんびりとしたメキシコの税関に腹を立てた事だったのですが、中立の立場にいた日本人の私が、その場の雰囲気を和らげたような格好でした。
驚いたのは、メキシコシティーの飛行場は大きくて新しい近代的な建物だったのに、かけてあった時計が「止まっていた」ことです。それほどまでにのんびりとしていて、物事が時間通りには行かない国だろうということがよく分かりました。

さて、話は本筋に戻ります。
空港から街に出ると、私はタクシーに乗り、運転手にお願いして適当な安いホテルへ案内してもらいました。その晩はそのホテルで、挨拶と日常会話くらいを旅行ガイドで覚え、翌日の訪問に備えました(スペイン語の発音は、どちらかというと英語より日本語的で、しゃべりやすいのです)。

翌朝、市内で自動車修理工場を経営している筈のビジャヌエバ氏に電話をかけました。前日に覚えたてのスペイン語ででしたので、その時は半分も通じていなかったと思いますが、どうやら私が日本から来ていて、これから訪問するということくらいは伝わったようなので、さっそくタクシーで氏の仕事場に向かいました。

ある場所まで来て、運転手が「この辺だ」というので降りたのですが、建物の名前などが分からず、またスペイン語の看板は要領を得ないので、きょろきょろしながら通りを行ったり来たりしていると、道路の向こうで手を振っている人物が目にとまりました。
近づいてみると、なんとビジャヌエバ氏その人でした!彼のほうが私を見つけてくれたのです。
ビジャヌエバ氏の経営する
自動車工場の入口

店に入ると、ちょうど良く英語の話せる男性がおり(下の写真)、その人の助けでいろんな質問をすることが出来ました。一見お客さんでも無さそうだったので、ずっと私の側にいてくれたのか、その人物がとても不思議に感じられました。著書の流れから言えば、おそらく宇宙人の可能性が大だと思っています。

そこでは、ビジャヌエバ氏は仕事中にもかかわらず、2時間余りも質問に答えて頂いたり、宇宙人から教えてもらったという円盤型の水上艇の、大きなブリキ模型を組み立てたりして頂きました。
工場にて模型を組み立てる
ビジャヌエバ氏(右)と
手伝う筆者(左)

写真右上で見守っているのは、
通訳をしてくれた不思議な人物


氏にいろいろ質問した中で、最も印象に残っているのは、「宇宙人の社会」についてでした。
それはずばり、氏曰く

「ノン・ポリス、ノン・ホスピタル、ノン・マネー、ノン・ウォーズ、ノン・マリッジ」

つまり、警察も病院も戦争も貨幣制度も無い、そして結婚も無いというのです。

言うまでもなくこれらは全て、私たちの世界では必要欠くべからざるものです。それでいて他の惑星の人々は、私たちが想像も出来ないほど長寿な人生で、社会も平和であり、活気に満ちているというのですから… 一体どういう社会なのか?と考えてしまいます。
この事は、その後ずっと私自身のテーマとなり、UFO目撃現象以上の課題として、今も心の中に残っています。

まずここで分かるのは、宇宙人の社会では、地球で日常茶飯事的に起きている犯罪や争いは全く見られないという事です。それは高度な人間性を持ち、お互いの事が深く理解しあえるような社会性が実現されているのだと思います。宇宙人達は地球人特有の対人関係のストレスなど持つこともなく、肉体的にもバランスの取れた身体を維持出来ているのでしょう。

その上で、貨幣制度が無く、結婚制度も無いということは、現在の私たちでは考え及ばないような価値観が、宇宙人社会にはあると思われます。
物質を管理するための経済理論は、「別の形」で高度なシステムが取り入られているはずで、個人財産の考え方も「単なる平等」ということではなく、才能と能力を充分に生かすかたちで配慮されているに違いありません。
また、例え結婚制度が無いとしても、カップルにおける愛情を踏まえた上で、より生命の躍動を引き出すような形が実現されているのかもしれません。
これらは、今後の私たち地球社会の未来を考える上で、非常に重要なテーマとなっていく事でしょう。

さて、結局私がビジャヌエバ氏を直接訪ねたのは、その1度だけだったのですが、その時でも、そのような体験をしたことが、彼自身の心に大きな「負担」になっていたことが強く感じられました。

10年ほど前、ある読者さんからビジャヌエバ氏を訪ねた時の様子を教えて頂いたのですが、すでに仕事は引退し、地方で老後を過ごしていたとの事でした。
またその時、氏は何かの宗教の信心をしていて、宇宙人との体験については「あれはサタンの仕業だったと思う」と語ったのだそうです。残念ながら、おそらく氏は一般社会との軋轢に疲れ、結局自分自身の体験を否定せざるを得ない状況になってしまったと推測されます。
ビジャヌエバ氏(左)と記念撮影

右は筆者

現在のUFO・宇宙人問題に戻ってみると、太陽系内の惑星に、人間のような生物の文明社会があるという主張は、今日に至っても全く受け入れられていません。
それはまるで浦島太郎のように、他の惑星からこの地上に降りたとたん、煙のようなに消え去ってしまうかのようです。

私が氏に会った時にも感じたことですが、コンタクト体験者というのは共通して、「非常に純粋」で、子供のようなおおらかさを持っています。総じて快活で積極的な人が多いのですが、さすがに宇宙人との遭遇体験の主張を、現在の地球で通し続けることは非常に難しく、晩年は挫折の中に追い込まれる事が少なくありません。

しかし、いずれはそれらを拒む地球社会そのものが、宇宙社会から追い込まれる事になると思っています。現在のメキシコ上空に現れているUFO群が、その兆候を物語っているかのようです。
韮 澤 潤 一 郎
にらさわじゅんいちろう

韮澤潤一郎の監修本
1945年新潟県生まれ。
法政大学文学部を卒業。

科学哲学において、
量子力学と意識の問題を研究する。

たま出版社長 他各社役員・
UFO教育グループ主幹。
 小学生時代にUFOを目撃して以来、40年にわたる内外フィールドワークを伴った研究をもとに雑誌やTVで活躍中。1995年にはUFO党より参議院選挙に出馬。最近は、『たけしのTVタックル』などの番組に出演、超常現象肯定派の側に立って論陣を張る。UFO絶対肯定派。これまでに『ソ連東欧の超科学』『ノストラダムス大予言原典』『第三の選択』、「エドガー・ケイシー・シリーズ」「UFOシリーズ」などのベストセラーを手がけてきた。

 UFOと超常現象における研究の主要なテーマは、UFO目撃事件に始まり、宇宙開発や軍事上の情報操作の実態、宇宙考古学的な視点から見た人類の歴史、ミステリーサークル出現にいたる近代の文明に及ぼす宇宙人の動向、多様なコンタクト事件から判明する宇宙人の文明と、我々地球人の進化と能力の展望。