宇宙人が地球人に与えたこと
UP : 2005.10.28
さまざまな惑星から、宇宙人たちが地球にやってきて、私たち地球の各国首脳も集まって、一堂に会して会議が開かれようとしていました。
1964年5月18日、メキシコの高原リゾート地、サンホセプルアでのことです。
このころメキシコでは、UFO目撃事件が多発していましたが、それは、この会議に出席するために、他の惑星の人々を乗せた多数の宇宙船が飛来していたからでした。

ちょうどこの時期は、地球に大接近しつつあった、ひとつの惑星がありました。目撃された宇宙船の多くは、そこからやって来ていたということでした。そして、到着した宇宙人たちや政府要人は、会議場に併設された宿泊施設に泊り、山から湧き出す温泉で、くつろいだといいます。
このときは、その年の年末に開かれる、各惑星からの代表者と、世界各国首脳との大会議に先立つ、打ち合わせの予備会議でした。

サンホセプルアの会議場に
併設された宿泊施設

現地に到着した一人の地球人が、宇宙人に質問しました。
「あなた方は、自分たちの宇宙船を一般民衆の前に、もっとはっきりと姿を現し、写真に撮らせるように、なぜしないのですか?」
これに対し、宇宙人が言うには、その宇宙船が何であるのかをはっきり認識する能力が、大衆にないから、できないのだといいました。

どういうことかといいますと、私たちは、今、いったい何種類の宇宙人がやってきているかも知らず、どこの星から、どういう性質の宇宙人が来ているのかという知識が全くないということです。
あるいはまた、地球製の偽装したUFOがあることも知りません。
それらの形の違いや、性能、飛行形体がわかりませんから、ただ「恐い」とか、「うれしい」くらいの反応しかできないということでしょう。
だから、ある宇宙船が接近してきたとしても、ただ慌てるだけで、冷静な対応ができないわけです。だから、宇宙からやってきている人たちは、下手に地球の人に接近できないということなのです。

結局、この年の会議では、多くの宇宙的な議題が話し合われ、地球自体が抱えるさまざまな問題に対するアドバイス、宇宙開発に関係する重大なテーマが示されたようです。
どうやら「人権」という考え方を、このとき彼等らは私たちに教えたように思われます。開発途上国と先進国の格差を解消しようとするには、この考え方を基本とすることが必要になります。また、どういう民族、人種であろうと、各個人は、高度な宇宙的可能性を持っていることを、尊重すべきだということではないかと思います。

この惑星会議とも言える会議が開かれた会場は、現在でも残っていていますが、その後は、もうここで会議か開かれている様子はありません。おそらくは、地球側も、宇宙開発を続行し、もっと便利な地の利のいいところとか、地球外で行われるようになったのかもしれません。
後にプルアを訪ねた古山晴久氏が、会議場の正門の写真を残していますが、入り口の上にスペイン語で「天使の館」と明記されているのがわかります。


天国のように花が咲き乱れるプルアの中国風渡り廊下


惑星会議が開かれたプルアの会館入り口に立つ古山氏

この惑星会議が開かれていたころ、私は大学で哲学を専攻しながら、当時メキシコで進められていた、宇宙的な理想的社会建設にあこがれ、参加することを夢見ていました。
しかし、伝もなかったので、メキシコには行かず、すでに、日本でも始められていた、理想社会建設の活動に参加しました。詳しくは、私の経歴を書いた『ニラサワさん』(たま出版刊)に譲りますが、それがどういう活動だったのかについて、ちょっと説明したいと思います。

前回のコラムで、進化の異なる文明間の接触が、非常に難しいということを、米国の国家安全保障局が公開したUFO秘密文書から説明しましたが、当時、私が日本でやっていたことは、まさにその通りの状況に自分を置いていたような気がしています。

前々回のコラムにあるように、ビジャヌエバ氏でさえ挫折した「ノン・ポリス、ノン・マネー・・・」の、他の惑星生活を地でいっていたのです。
一時は、学生だけでなく、清掃事業の若者、帰国子女といった異色の集団で、2〜30人にもなり、その所帯の中では、一日中、一言も言葉を交わすことなく、テレパシーで会話が成立していました。想像を超えています。

創始者のリーダーは、金星人と自称していたようですが、私は会っていません。しかし、その生き方は、地球人離れしていたことは確かです。
集団の形態は、原始キリスト教的といったらわかりやすいかもしれません。ある時は、普段着のまま、托鉢をします。しかし、それはユスリやタカリと間違いられます。けれども結局、生活の手段でもありますから、修行僧と同じということになるでしょう。
次第に資金は枯渇し、住宅を追い出され、ホームレスになりました。
結局、そんなことは、世間では通用しないのです。
他の惑星なら、その意志は認められるかもしれません。

私がそんなことをやっていたのは、1965年でした。東京オリンピックが行なわれた年ですが、どんな競技が行なわれたのか、何があったのか全く知らず、一緒に暮らしていた日本語をよく話せない女性とその乳児のために、スーパーでアルバイトをしながら、私は天空を見ていました。
UFOとの、最も明確な接近遭遇を体験したのもそのころで、数十メートルの距離を飛ぶ球形の小型無人偵察UFOや大型の円盤を仲間数人で見ています。

下手に他の惑星の真似をすると、この社会では自滅することになるのでしょう。あのビジャヌエバの世界は、今の段階では、地球から隔離しなければならないのかもしれません。
ノン・ポリスなんて言っても、近所の空き巣や窃盗に悩まされる東京では、通用しません。
ノン・ホスピタルと言っても、自分では病気も治せないのですから、無理です。

しかし、全く不可能であるとも言い切れないのです。各自の可能性を追求し、科学技術と、精神的向上を図りながら、それに見合った社会システムを作り上げることができるなら、きっと他の惑星との交流も、オープンにできる時代が来るに違いありません。
あの理想追求時代に、一時的ではありますが、時間の流れが確かに変わったことを体験しました。自分の中に流れる想念の情報量が増加し、一日は一ヶ月の長さに思われました。遠くにいる人の心が見え、天空にいる人々の世界を感じたことは確かでしたから。
韮 澤 潤 一 郎
にらさわじゅんいちろう

韮澤潤一郎の監修本
1945年新潟県生まれ。
法政大学文学部を卒業。

科学哲学において、
量子力学と意識の問題を研究する。

たま出版社長 他各社役員・
UFO教育グループ主幹。
 小学生時代にUFOを目撃して以来、40年にわたる内外フィールドワークを伴った研究をもとに雑誌やTVで活躍中。1995年にはUFO党より参議院選挙に出馬。最近は、『たけしのTVタックル』などの番組に出演、超常現象肯定派の側に立って論陣を張る。UFO絶対肯定派。これまでに『ソ連東欧の超科学』『ノストラダムス大予言原典』『第三の選択』、「エドガー・ケイシー・シリーズ」「UFOシリーズ」などのベストセラーを手がけてきた。

 UFOと超常現象における研究の主要なテーマは、UFO目撃事件に始まり、宇宙開発や軍事上の情報操作の実態、宇宙考古学的な視点から見た人類の歴史、ミステリーサークル出現にいたる近代の文明に及ぼす宇宙人の動向、多様なコンタクト事件から判明する宇宙人の文明と、我々地球人の進化と能力の展望。