編集長日記
更新:2026年5月12日
作家は孤独を友とする
もう40年以上前になるが、編集プロダクションに入って3年ほど経ったころ、あるPR誌で作家の大江健三郎氏にインタビューするという企画が持ち上がった。そのPR誌を発行している会員制のスポーツクラブに、大江氏が通っていたからである。
当時、大江氏は週に何度かそのスポーツクラブでスイミングの練習をしていた。もっぱら健康維持のためだったが、ちょうど私がそのPR誌の編集担当だったので、私にインタビューのお鉢が回ってきたのである。
そのスポーツクラブの理事長が言うには、すでに本人の了解は得ているから、電話でアポを取って取材に行ってほしいとのこと。まだノーベル賞こそもらっていなかったが、すでに大作家としての地位は築いていたから、知らぬ者はいない。
翌日、緊張しながら二十代のヒヨッコ編集者の私が大作家先生に電話すると、
「申し訳ないんですが、人と話すとそのあと何日か原稿が書けなくなるので、質問事項を列記してファックスで送っていただけますか。すぐにファックスで返信しますので」
と、丁寧な口調で言われた。
私の場合、昼間に取材して夜には原稿を書いていたから、人と話したあと原稿が書けなくなるとは、なんと繊細な神経なんだろうと驚いたのを憶えている。
ただ、ずいぶん後になってそのときのことを振り返ると、あれは、たんに私と会うのが面倒だったからそう言ったのだろうと思うようになった。
そして20年が経った。
私はすでに40代後半になっていて、出版社の編集長を務めていたが、あるとき、森村誠一氏の知己を得た。こちらも、かつてはミリオンセラーを連発していた大作家先生である。
ちょうどそのころ、ある無名の新人のミステリー作品を売り出すことになって、オビに森村氏の推薦文をもらおうと考え、電話でお願いしたところ、次のようなことを言われた。
「とりあえず作品を読んでみますので、ゲラを送ってください。それと中村さん、今後のやりとりはファックスでお願いできますか。こうやって中村さんと話しているだけで、今日はこのあと、もう原稿が書けなくなるんですよ」
それを聞いて、20年前の記憶が鮮明に蘇った。ああ、大江さんと同じだ、この人も原稿が書けなくなるんだ。――ということは、大江さんが言ったことは本当だったんだ、と、そのとき認識を改めたのである。
池波正太郎にしても村上春樹にしても、私が知る限り、ほとんどの作家は深夜に原稿を書く。数少ない例外の一人が三島由紀夫で、もう一人が夏目漱石であるが、これは彼らが文学を‟仕事”として捉えていたからで、作家にとっては、世間が寝静まった静寂の中でこそ感性が研ぎ澄まされ、書くことに集中できる。逆に言うと、世間の雑事に煩わされると集中が阻害されるのである。
ただし、深夜、一人でコツコツと文字を埋めてゆく作業は、深い孤独感を伴う。人間は知的動物であるとともに社会的動物でもあるから、どこかで他者とつながっていたい。それを断たねばならないのだから、多くの作家が言うように、孤独を友とする覚悟が必要になる。
このように見てくると、作家の精神というのは、どこかすぐれた宗教人と似たところがあるようにも思えてくる。すぐれた宗教人というのは、自分がいかに多くの余計なものからできていて、それらをできるだけ捨て去る生き方を選んだ人のことだが、それは同時に、孤独な道でもある。
そうした道を地道に歩みながら、作家は生きることの意味を問い、宗教家は生きることの意味を説く。
作品の出来栄えがどうであれ、あれこれの楽しみを捨て去って孤独を友としながらコツコツと書き続ける生き方は、それだけで敬服に値すると言えるだろう。
かつて作家の立松和平氏は、「僕には文学的な才能はなかったが、ひたすら書き続けることでここまでやって来れた」と言ったが、つまるところ、作家の真の才能とは、生まれつきの文才よりも孤独を友としてコツコツと書き続ける能力のことなのかもしれない。
(たま出版編集長 中村利夫)