編集長日記
更新:2026年9月29日
宇宙のリズム
オリンピックが開かれるのは4年に一度であるが、この4年に一度という周期は、古代オリンピックからずっと守られてきた。
じつは、これは天体の周期に合わせたもので、本来は8年周期だったものが、のちには半分の4年周期となって開催されるようになった。
古代オリンピックは紀元393年を最後に開催されなくなったが、それを1896年に近代オリンピックとして復活させたのがクーベルタン男爵である。彼は、開催年の周期を決めるに当たって、周囲がいろいろと意見するのを突っぱね、4年ごとの開催を「宇宙の厳粛なリズム」として古代オリンピックの周期をそのまま引き継いだ。そして、宇宙がそうやって調和を奏でているのであれば、オリンピックもそうであるべきとして「平和の祭典」という標語を掲げた。
ここがクーベルタンの偉大なところで、彼はオリンピックをたんなるスポーツの祭典としてでなく、人類の理想のあり方として具現化しようとしたのである。
ただ、現実にはオリンピックは国際政治に翻弄され続けて来た。モスクワオリンピックやロサンゼルスオリンピックは片肺飛行となり、直近の冬季オリンピックでもロシアが締め出された。政治と宗教の論争を始めると最後は殴り合いになりかねない、というのが智者の箴言だから、これ以上政治の話には触れないが、現実はクーベルタンの理想とはほど遠い状況にある。
さて、クーベルタンが言った「厳粛な宇宙のリズム」というのは、科学的には季節の移り変わりや潮の満ち引きなどを指しているが、じつはすぐれた芸術からもそれを感じることができる。なぜかというと、すぐれた芸術は調和のとれたリズムを刻んでおり、それは宇宙のリズムとつながっているからである。
まず、音楽はリズムそのものであるから説明するまでもないが、では、文学と絵画はどうなのか。
昔から、「文学とは畢竟、文体のことである」と言われるが、高校時代まではこの意味がさっぱりわからなかった。
ところが、大学時代に志賀直哉や谷崎潤一郎、三島由紀夫などの文体のリズムを感得して、なるほど、文学が文体であるとはこういうことかと納得した。彼らの文章は、文体こそ違え、それぞれ調和のとれたリズムを奏でており、私に深い充足感と歓びをもたらしてくれたのである。
では、絵画はどうか。一見すると、絵画とリズムは関係ないように見えるが、やはり絵画もリズムで成り立っている。すなわち、文学で「文体」と言うところを絵画では「タッチ」といい、これは、それぞれの画家の線や色のリズムのことで、調和のとれた線や色のリズムに私たちは美を感じるのである。
こうしたリズムを感得したとき、私たちは同時に宇宙も同じように調和のとれたリズムを刻んでいるのを感じる。
私の場合は、志賀直哉の『暗夜行路』を読んでいるとき、極限まで無駄を削ぎ落した文体のリズムに深い歓びと充足感を覚えたが、その歓びと充足感に浸っているとき、なぜか頭の上に銀河系の姿が浮かんだ。そして、その銀河系も同じように調和のとれたリズムを刻んでいるのがわかった。すなわち、志賀直哉の文体のリズムと宇宙のリズムが共鳴していたのである。
では、なぜ私たちは芸術と言う‟リズム”のなかに宇宙を感じ取ることができるのか。理由はわからない。私たちの感性はそのようにできているらしい、というしかない。いわゆる理屈を超えた世界で、そこにスピリチュアリズムの存在意義があるのだろう。
(たま出版編集長 中村利夫)