編集長日記

更新:2026年4月17日

妖精はそこにいる

 半世紀以上も前のことになるが、中学生のころ、テレビで森山良子という歌手が「禁じられた恋」という曲を歌っているのを観た。ずいぶん高い声だったがとても美しく聞こえて、歌の上手な人だなと思った記憶がある。

 歳月は光陰のごとく流れ、やがて彼女にも娘さんが生まれ、その娘さんも大人になってお笑い芸人の小木くんと結婚したが、いつだったか、その小木くんがあるバラエティ番組で次のような話をしていた。

 「ぼくの家には観葉植物がたくさんあるんですが、妻は、その観葉植物のところに妖精がいるって言うんですよ。これはちょっとヤバいかも、と思って、お母さんの良子さんに相談しようと思って電話をしたら、『あら、あなたには見えないの?』と、逆に変人扱いされてしまいました」

 大半の視聴者はそこで笑っただろうし、小木くんも笑いをとろうとしたのだろうが、ことほどさように、いまやスピリチュアルな話題は一般に笑いのネタでしか発信されなくなっている。真面目な顔で、あら、あなたには妖精が見えないの? と正面切って聞かれれば、たいていの人はその相手とは距離をとろうと思うだろう。だから、たとえ妖精が見えてもほとんどの人はそれを隠して生きることになる。

 妖精伝説というのは古くから世界各地にあって、そのひとつであるティンカーベルなどはだれでも知っている妖精のアイコンのような存在になっている。

 森山良子や彼女の娘さんが言う妖精は、植物の枝や葉っぱに棲んでいて、これは日本ならではの珍しいケースといえるが、日本には自然界のあらゆるものに精霊が宿るという思想があるから、植物の枝や葉っぱに精霊としての妖精が棲んでいたとしても不思議ではない。

 それに、森山親子が嘘をつく人たちであるとは到底思えないから、彼女たちには本当に妖精が見えたのだろう。

 問題は、この世には、そうしたスピリチュアルな存在が見えるごく少数の人たちと、全く見えない大多数の人たちがいることである。

 前述したように、いにしえの日本では自然界のあらゆるものに精霊が宿るという思想が一般に普及していたから、そうした精霊の存在を信じる人たちが大半を占めていたことになる。そんな時代には、妖精が見えることは不思議でもなんでもなく、笑い話の対象にもならなかったに違いない。

 それが、科学という別の‟信仰“が普及するにつれて妖精が見える人も少なくなり、少なくなるにつれて笑い話のネタになるようになった。

 そう考えると、私たち現代人の大半は、いにしえの人たちが持っていた感性を失ったことになる。

 ただし、森山親子のように、その感性を失っていない人もいる。そして、そういう感性はおそらく生来のものだから、欧米では「神様からの贈り物」という意味で‟ギフト“と呼ばれているが、これはキリスト教思想が今も人々の心に根づいているからだろう。

 ひるがえって今の日本では、残念ながらほとんどの人が、せっかく神から授かった‟ギフト“を隠しながら生きている。いうまでもなく、日本では他者と異なっていることがわかると除け者にされるか、気味の悪い対象にされるからである。

 古来より、日本人は豊かな自然に囲まれ、自然とともに生き、その自然の中にある超自然的な存在を受け入れてきた。それが「かぐや姫」のような物語を生んだのだが、そうした日本人としての感性は今も私たちの心の奥深くに受け継がれているはずである。俳句に季語を取り入れるのも、私たちの感性が自然と密接に結びついているからであり、七五調のリズムを美しいと感じるのも、大和言葉が自然の中で育まれ、その波動が七五調のリズムと調和しているからで、そうした感性に背を向けることは、古来から受け継いできた日本の文化に背を向けることに他ならない。

(たま出版編集長 中村利夫)

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