編集長日記
更新:2026年7月21日
夏の夜に見た火の玉のゆくえ
周知のように、日本では仏教が入ってくる以前、亡くなった人はそのまま土に埋められた。仏教が普及してからは火葬に付されることも増えていったが、それでも江戸時代まで一般には土葬の風習がそのまま残った。
明治に入ってから、疫病の蔓延を防ぐために火葬が推奨されたが、土葬の風習はすたれず、多くの地方では土葬が一般的に行われていた。
なぜこんな話をするかというと、つい30年ほど前までは私の郷里でも土葬が行なわれていて、私の母も生家から50メートルばかり離れた墓地に埋葬されたからである。
半世紀ほど前の地方では、人間には魂があって、死ぬ間際にその魂が身体から抜け出してどこかへ去っていくということが素直に信じられていたから、母も生前、夏の夜に外で涼んでいるときなど、火の玉を見つけると、どこそこの誰さんがもう亡くなるかもしれないなどと言っていた。
一度、母が屋根の上をゆらゆら飛んでいる火の玉を見つけて、家の中にいる私に声をかけたことがある。
「ほら、火の玉が飛んでるから、早く見においで」
そういう言葉がどれほど子供にとって恐ろしいか、おそらく母は失念してしまっていたのかもしれないが、それを聞いた小学生の私は、その夜は一人でトイレに行くことができず、姉にせがんでついてきてもらったのを憶えている。
昔の農家というのは、一般にトイレは家の外に厠(かわや)としてしつらえてあったから、その厠へ行くためにはいったん外へ出なければならなかった。
あれは小学校6年生のときだったかと思うが、厠で寝る前の用を足している最中、ふと外を見ると、10メートルほど先の空中にゆらゆら揺れているものがあった。ほんの数秒ほどだったが、それは二、三度揺れたあと、すっと消えていなくなった。文字通り、跡形もなくすっと消えてしまったのである。私は震えあがって家に駆け込んだが、あのときの恐ろしさは60年以上経った今も忘れることができない。
その火の玉は、やや青みがかった黄色い丸い玉のようなかたちをしていて、尾っぽを持っていたが、科学者によると、墓地が近くにあって湿度が高いとき、墓地の土中から出たガスが酸化・燃焼して青い火として見えるのだそうだ。
科学的にはたしかにそうかもしれないが、私が見たものは、そういった科学では割り切れない、どこか生命体を思わせるような存在で、ある意味、畏怖の念を起こさせるような恐ろしさを秘めていたように思う。
いってみれば、それはやはり「人魂(ひとだま)」であって、人間には魂があり、その魂は肉体が朽ちると新たな生命に宿って転生することを私に信じさせるような存在感があった。おそらく母の世代もそれ以前の世代も、同じような現象を見て同じように思ったに違いない。
その母は私が40歳のときに旅立ち、村の墓地に埋葬されたが、その8年後に他界した父のときには、近くの町に火葬場が完成していて、すでに土葬の風習はなくなっていた。
以来、火の玉を見たという話もとんと聞かなくなってしまったが、聞かなくなるにつれて人が素直に魂の存在を信じるという時代も終わりを告げたようである。
ちなみに、小学校6年生のあのとき、偶然私の目に入ったあの人魂(ひとだま)は、はたしてどこの誰に転生したのだろうか。
(たま出版編集長 中村利夫)