UFO事件は、どのように偽装されてきたのか
UP : 2006.10.02

このところしばらく、私用のためにコラムを休んでいまして、読者の皆さんにはご心配おかけしました。ようやく現場復帰しましたので、再開しようと思います。

さて、今まで当コラムではいくつもUFO・宇宙人に関連する事件を取り上げてきました。
最近では前回紹介の、イギリスの青年がアメリカの宇宙・軍関連施設へのハッキングによって様々なデータを見てしまった事件、またその前のコラムで取り上げた、伊豆のUFO宇宙人遭遇事件などありますが、これらはもちろん、過去60年以上にわたって積み重なった出来事のほんの一部に過ぎません。多くの読者の皆さんも、ある部分では混乱し始めている方もいらっしゃるかと思います。長年調査をしてきた身としましても、一時に流れを点検しないことには、判断が付かないこともあるのは確かです。

そこで今回は、復帰の区切りも兼ねまして、今までのUFO問題の流れを主要事件と共に振り返り、その裏に隠れてきた事について、改めてふれてみたいと思います。


まず最も初期の歴史的UFO事件として挙げられるのは、日本軍による真珠湾攻撃の3ヵ月後にあたる1942年の2月、アメリカ・ロサンゼルスの軍事基地上空に、20数機のUFO編隊が出現した事件です。

当時公表されている、戦略本部に出された電信文では
「地上からは多くの探照燈で照らされ、1430発の高射砲が打ち上げられたが、何の損傷も受けず、反撃もせずに、編隊を分散させながら、上昇と降下を繰り返して飛び去って行った」
と報告されています。

ただ一般的には、この時はまだ戦時中で「UFO」という呼び名も無く、上空に飛来した物体の正体を、宇宙からの物という認識はほとんど持たれませんでした。
しかしすでに大戦中、「フーファイター(幽霊戦闘機)」と言われた正体不明機が世界の空を飛びまわっていた事が明らかになっていますので、当局だけは、大衆が気付く前にそれら「未確認飛行物体」情報を得て、研究し始めていたと考えられます。
ロサンゼルスに現れたUFO:1942年2月撮影

その後、第二次世界大戦の終了(1945年)と共に、世間一般に知られるUFO時代がスタートしました。
1947年には、あの「ロズウェル墜落事件」、そしてケネス・アーノルドがレイニア山上空で目撃した「UFO編隊目撃事件」が起き、「Flying Saucers = 空飛ぶ円盤」という名が世界を駆け巡りました。

ここで認識すべきことは、前述の戦時中のフーファイターの件からこの時代と10年ほどの間('50年代)に、UFO問題に対する地球(政府)側の基本方針が決定されたということです。
当初、UFOの出現に対しては、今ではちょっと考えられないような現実的な対応が取られていました。以下に当時の公文書を列記してみますが、タイトルを見るだけでもよくわかります。

◎「フライング・デスク(飛ぶ皿:当時のUFOに対する呼称)はFBIの関心事項」
(FBI長官の書簡 '42年)
◎「空飛ぶ円盤は幻や虚構ではない」(米空軍報告書 '47年) 
この文書には、「報告された現象は事実であり、円盤型で、人口の航空機と同じ大きさと思われる物体が存在する」と、明記されています。
◎「物体はデッキ部がある無翼航空機である」(米空軍分析報告 '48年)
◎「政府機関は重大な関心を持っている」(米参謀本部のUFO情報要請文 '49年)

そして間もなく、政府は防衛的な方針を固めていきます。

◎「UFO問題は米国政府の最高機密である」(カナダ運輸省極秘文書 '50年)
◎「UFOに対し開戦を宣言する」
(トルーマン大統領 '52年 ワシントンUFO事件で報道管制)
◎「つぎの戦争は惑星間戦争となるだろう」
(ニューヨーク・タイムスに出たマッカーサーの発言 '55年)

この時代の状況については、コラム8で紹介したロバート・ディーン氏の発言にもあるように、世界大戦直後ということもあり、政府の上層部に敵対的警戒心がまだ過剰にあった事も窺えます。

こうした中で、軍のシンクタンクであるブルックリン研究所が1958年に出した報告書は、最終決定の内容を象徴しています。

「はるかに高度に発達した異質の文明に接することは危険である・・・」

その理由は以下のようなものでした。

「地球外生命体の存在を公表した場合、最も危険な集団は、科学的思考を持つ人々である。人類を万物の霊長とする概念に立脚しているため、彼らにとってそれらは脅威でしかあり得ないからだ・・・」

しかし、この文書にある「はるかに高度に発達した異質の文明・・・」というものを、当局はどのように認識していたのでしょう?

軍の状況報告や、シンクタンクの分析結果が出された裏には、それ相当のUFO事件がありました。'49年の「米軍部隊指揮官のUFO調査依頼書」には、「一晩に100件の目撃が発生している」とあります。
すでに'50年前後には、一部の市民にとって「UFOがどういうものなのか」を充分理解出来る材料が揃っていたと思われます。しかも、そのUFOの「搭乗者」、つまり宇宙人のことを良く知っていて、たびたび起きていた着陸事件の際、宇宙人との交流をも実現していたという「ふし」があります。

その実例のひとつが、弊社刊の『ニラサワさん。』の中に出てきます。 それは'30年にドイツからアメリカに亡命し、戦後、航空機産業に在籍した宇宙科学者の発言で、以下はその娘さんが後にインタビューに答えた内容です。

「・・・父は、月面にも月の内部にも行ったことがあると私に言いました。月には基地があるというのです。また火星の上にも内部にも行ったことがあると言っていました・・・
'50年代後半に、月でエイリアンを訓練しているのだと言っていました・・・彼らはいつもそこ(月)に居るのだと言っていました・・・月で教えていたエイリアンはどのように見えるのか尋ねると、父は、私たちと同じように見える、と言いました。」

この科学者は、原爆の装置や宇宙船の開発、マインド・コントロールの研究に携わってたそうで、「月では、東西の科学者が共同で働いていた」と言っていたとの事です。

さらに私が、30年ほど前にアメリカに行った時に会ったUFO研究家が、同じような証言を自分の著書に書いています。

「最近、退職した物理学者に会ったが、何人かの彼の同僚が、異星人によって月と火星へ連れて行かれたと、率直に語ってくれた・・・いずれも地表では、多少の減圧処置がほどこされるか、小さな酸素ボンベで済む・・・火星には、60億人ほどの人間が住んでいる・・・」

(『月面のエイリアン基地』フレッド・ステックリング著)

以上のことから、すでにアメリカが、UFO問題の結論を出した'50年代には、地球は一部の宇宙人と緊密な交流関係を持っていたことが窺えます。
一般大衆の面前に出てくるニュースや話題は、現実の状況をただ後追いしているだけで、しかもその多くが、偽装された内容に過ぎなかったと考えるべきなのかもしれません。

前述のコラム8で紹介したロバート・ディーンは、その件に関して次のように述べています。

「アメリカの情報機関は、一般に知られたくないことについて、事実に反する情報を公開する複雑なプログラムを持っている。真実を知られそうになると、一般の関心を紛らわすため、偽の情報をみごとに公開する。人々が信じていることを、偽の事実を吹き込んで紛らわすのだ。たとえば銀色の宇宙服を着て、ニセの着陸事件を起こすとか・・・後は、マスコミ操作で広がっていく・・・」

おそらくは、ブルッキング・レポートが出された'58年ころには、大衆からは真実が隠される方向に、偽装工作が開始されていたものと思われます。

この偽装に最も抵抗した人物として、コラム74の撮影者を挙げるならば、すでに'65年には、偽装暗躍集団が周りを取り囲んでいる中での超接近遭遇は、本物の宇宙人達からしても「もうこれからは、こんな危険なことは2度とできないだろう」と言わせたのではないかと思われるのです。

実際、'60年代以降は、キャトルミューティレーション事件(牛などの家畜の不可解な惨殺事件)やアブダクション事件(人間を誘拐し、記憶を消して送り返す)が数多く起き出しました。その後'70年代に入ると、銀色の宇宙服を着たエイリアン遭遇事件が蔓延しました。

'73年10月ミシシッピー州パスカグーラの合衆国海軍造船所では、ロボットのような3体の生物が、2名の造船所職員を誘拐し、彼らの宇宙船で生物学的実験を行なったという事件が起きました。
同時期、アラバマ州の合衆国最大の軍事工場では、銀色の宇宙服を着たエイリアンの写真まで撮影され、「UFO軍による、集中した本格的侵略作戦が始まった」と報じられました。
その後、ジョージア・テネシー・オクラホマ・ミシガンと、いずれも軍事基地に沿ってUFOが目撃され、東海岸の一部ではパニック騒動まで起きています。
ロボット風エイリアンと言われる写真
人間がアルミホイルを全身に巻き付けたように見える

'74年になると、日本や韓国でも、ジェット戦闘機がUFOに遭遇した後に墜落したとか、沿岸防衛の対空砲兵基地に金属製の円盤から発射された光線によって、発射台が完全に溶解したというような事件が起きました。
これらが地球製の「偽装部隊」の仕業だとすれば、とんでもないテクノロジーを収得していることになりますが、このような兵器が、実際にイラク戦争でも使用された事がわかっています(次回コラムで詳述)。
またこの頃、南米でも同様な事件が起きていますし、ヨーロッパにおいても、各国の空路や海上航行路でUFOの目撃事件が報告され、「宇宙人による地球攻撃」のイメージがクローズアップされました。

さてここで当コラムを見てみると、バックナンバー79で取り上げた「伊豆・熱川事件」は、まさにこの「偽装時代」のものだということになります。さらに、これらの事件には、単なる偽装宇宙船だけではなく、心理的な幻覚現象が付随していますが、これは前述のドイツからの亡命科学者も研究していたという、「マインド・コントロール」の導入によるものと考えられます。この分野の研究は、キャトル・ミューティレーションやアブダクションが起き出した頃には実用化され、偽装UFO事件に使われていたはずです。

マインド・コントロールに際して行われる、いわゆる「想念投射」は、その名の通り人間の思考や体験認識にさまざまな影響を与えるわけですが、これらは「能動的精神情報の発信」の技術という事とも言えるでしょう。そしてこれに反対の側面にあたる研究が、'70年代からスタートしています。SRV(サイエンティフィック・リモート・ビューイング:科学的遠隔透視)、これは前述の技術とは逆の「精神情報の受信」とも言える透視や予知を科学的に実用化する事です。
この「発信」と「受信」の両面の流れは、人間の超感覚的知覚(ESP)機能を扱った同じ流れの中の研究と言えます。
そのような流れの中で、前述の精神情報を「出力」することにより、受信者を管理・コントロール出来るという技術は、大きな問題点になっていくと思います。

軍でSRVの訓練を受けた遠隔透視者モアハウスは、エイリアンの地球来訪を透視する実験について、「初期の訓練期間中、私は何かノイズか干渉のようなものがあることに気付いた」と述べています。 つまりエイリアンに関し情報を感受しようとした際、コントロールされていた可能性があったという事なのです。

次回コラムではこの詳細も含め、引き続きUFO問題のまとめを行う予定です。

韮 澤 潤 一 郎
にらさわじゅんいちろう

韮澤潤一郎の監修本
1945年新潟県生まれ。
法政大学文学部を卒業。

科学哲学において、
量子力学と意識の問題を研究する。

たま出版社長 他各社役員・
UFO教育グループ主幹。
 小学生時代にUFOを目撃して以来、40年にわたる内外フィールドワークを伴った研究をもとに雑誌やTVで活躍中。1995年にはUFO党より参議院選挙に出馬。最近は、『たけしのTVタックル』などの番組に出演、超常現象肯定派の側に立って論陣を張る。UFO絶対肯定派。これまでに『ソ連東欧の超科学』『ノストラダムス大予言原典』『第三の選択』、「エドガー・ケイシー・シリーズ」「UFOシリーズ」などのベストセラーを手がけてきた。

 UFOと超常現象における研究の主要なテーマは、UFO目撃事件に始まり、宇宙開発や軍事上の情報操作の実態、宇宙考古学的な視点から見た人類の歴史、ミステリーサークル出現にいたる近代の文明に及ぼす宇宙人の動向、多様なコンタクト事件から判明する宇宙人の文明と、我々地球人の進化と能力の展望。