NHK番組で放映された、鹿島説裏づけ映像
UP : 2003.11.11
 日本史に対する新しい提言は、密かに浸透しているようです。
 しかし何も知らない人に「明治天皇すり替え説」を語っても、ほとんどの人は半信半疑か、どちらかといえば否定的もしくは拒否反応を示します。それは既成概念や常識という一種のマトリックスの網なのだと言えるかもしれません。

  偶然にも、いま発売されている、ある歴史雑誌の特集は『天皇の謎』というものです。しかし聞くところによれば、その雑誌社の方といえども、今回当社で取り上げた鹿島史観については知らなかったようです。それほどまでに、この問題がまだ知られていないということを反映しているのでしょう。
 しかし、発売以来、しだいに全国の書店で手堅く動いている状況が示されて来ていますので、この問題の重大さと、その信憑性に多くの人達が気付き出しているということがいえるのではないでしょうか。

 先ほどの歴史雑誌(『歴史読本』12月号)の中にも、「明治天皇7つの謎」の一つとして「西南戦争時における政務サボタージュの理由は?」というのがあります。明治10年の西南戦争において、明治政府が西郷隆盛を倒さなければならなかったときのことです。常御殿といわれる天皇の私邸から執務のために出かけるとき、乗馬することを拒否したというくらい、西郷討伐に対して明治天皇が鬱屈した状況にあったということが述べられています。雑誌の記事ではその理由については明確に述べられていません。
 また明治6年に皇居が火災になったとき、天皇が西郷からもらった箪笥を特に持ち出すよう命じたとか、 気性の激しい西郷に天皇が親しみを持っていて見守っていたなどの記述が見受けられますが、その理由については明記されていません。
 歴史的には明治4年から6年の間にだけ、西郷と天皇の接触があったことになっていますが、鹿島史観からいえば、明治に変わる以前から西郷と共に上洛した事実があるわけです。孝明天皇を暗殺し、明治維新を達成した戦友であり、同じ南朝の出身であったことからすれば、ことの理由が明らかになるというものです。

 また同じ雑誌社から出ているムックの中に「女官が語る。天皇と宮廷秘話」という記事がありまして、その中に明治天皇の幼少期に仕えた女官の思い出話が出ています。結局この人は殺された睦仁親王と、入れ替わった寅之祐の両方に仕えた人だと思われますが、その文章は、少し奇妙な感じがするのです。前半になにか壮絶な苦しみというか悲しみを込めた文章があるかと思えば、急に気を取り直したかのように尊敬の念を表す文章が入っていたりします。そこからは、なにか入替わりの惨劇に立ち会った人の文章のような感じを受けるのです。
 最近分かったのですが、私の従姉妹の先祖に、明治天皇の女官と歯医者の夫婦が居たということを聞きました。明治天皇から青山墓地にお墓をもらったとのことで、私もいつか墓参をしようと思っていますが、入替わり事件についてはまだ確かめようもありません。その従姉妹も皇居にお祖母さんに連れられて行ったことがあるそうです。

 一方、本を買って読まれた方々の中には、鹿島史観のマニア的な方たちもおられたり、また、事件の舞台となった地元の方などからは、関係者の子孫だと名乗る人から興味ある手紙をいただいたりしています。
 この方は、京都明治天皇と東京明治天皇という使い分けをしています。京都明治天皇というのは、殺された孝明天皇の息子である睦仁親王のことです。東京明治天皇というのは、入替わった大室寅之祐のことです。
 それで、京都明治天皇の方は、身長が145cm、体重が45キロしかなかったのですが、東京明治天皇の方は、身長180cm、体重100キロというのです。前者は馬にも乗れず、化粧する公家の育ちであり、後者は威風堂々たる力士隊の出身でした。この二人が別 人だということは明らかだというわけです。また入替わった寅之祐の出身地では、このことは百パーセントだれもが知っていることだとのことです。

 もうひとつ明記しておきたいのは、ユーラシアの歴史の部分で気付いたことです。
 NHKの月一度の特集に「文明の十字路」という歴史番組がありますが、10月と11月は「秦の始皇帝」を取り上げています。 10月に放映されたその番組の中で、ちょうど始皇帝の兵馬俑についての映像がありました。最初発見されたのは、1974年で、鹿島氏は当時、その報を聞いて、すぐさま駆け付け、発掘された兵士像などを見ています。
 その時の状況について鹿島氏は、今回出版された『日本史のタブーに挑んだ男』の中でいくつか指摘しているのですが、その部分がNHKの今回の歴史番組の中にも見受けられました。
 その一つは、発掘された兵士の像が、紀元前のポンペイ壁画に描かれた、馬上のペルシア軍の鎧と同じいでたちなのです。テレビ映像に写 された兵士は、確かに頭の部分が兜の上をマフラーのようなもので包んであります。
 また本の挿絵で指摘されているように、馬の耳と尾などが結んであるのも事実です。つまり始皇帝の軍団が、アレキサンダーやダリウス王などの西域のいでたちをしているということです。結局、始皇帝というのがバクトリアの王であり、秦という国がグレコ・バクトリアの植民地であることになるわけですが、NHKの映像解説には、そのことは出てきません。しかしそれを裏付ける部分がありました。

 テレビの解説にもあるように、その何千体という兵馬俑の人形は、当時の人物の実物大といわれています。しかもその身長は180cm以上というのですから、東洋人というより、西域系と考えられます。鹿島氏はその顔つきがオリエント的だと指摘しています。
 ここが問題なのですが、その後にも地下宮殿が発掘されたという話がありますが、なぜか報告は今だなされておらず、まだ一度掘った兵馬俑を埋め戻したといわれているのです。鹿島氏は「これは何か、決定的な出土品によって、始皇帝稜と兵馬俑の真相をつかんだのに違いない。そのため何かを差し止めているのであろう」といっています。

   偶然にも今回のNHK番組の中に、1974年の発掘状況を写した映像の中にある、当初の兵馬俑の人形の顔と、現在、広大なコロシアムのようなドームの中で展示されている像の、両方の映像がありました。それを対比すると、鹿島氏が述べたように、発掘当初の顔はオリエント系なのに、現在公開されている映像はアジア系の顔になっており、これも付け替えられているのでしょうか。また顔のない人形もいくつか散見されました。

 参考のために、写真を掲載しておきます。
[写真]
始皇帝兵馬俑人形の顔
(NHK番組より)


上:1974年発掘時の顔
(西域オリエント系 )

下:現在展示されている顔
(東洋人系)
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